私の父は戦前の、川端康成、与謝野晶子等が執筆していた
 雑誌「日本国民」と「国民新聞」のオーナーでした。
 父の墓はずっと神奈川県の鎌倉霊園にありましたが、
 生前自分が死んだら海か山に散骨してほしいといっていた事もあり
 鎌倉霊園を引き払わせていただき、西楽寺裏山墓地に埋骨いたしました。
 お骨の一部は本堂横の合葬墓に分骨しました。

 一人娘の私が生まれたとき父は50歳を超えていて
 美食が過ぎて糖尿病と高血圧になっていました。
 父の意向で東京、目白の日本女子大学付属中学に受験して入った私は、
 すでに老人である父と暮らしながら"死"というものを間近に感じ、
 文学、哲学などの本を読んで心の支えにしていました。
 アインシュタインの相対性理論が話題になっていたころで、
 私にとって"死"というものに対するひとつの答えと思われたのは、
 素粒子に関する本でした。

 当時は知りませんでしたが、アインシュタインは死後の散骨を希望し、
 遺族によって遺骨は散骨されたとのことです。
 人間も動物も植物も、すべての構成要素は同じだということは、
 自分が死んで土に還れば新たな生命として再生され永遠に宇宙に存在し続けると感じ、
 宇宙との一体感を感じ取って心は落ち着きました。
 しかし、科学には限界があり、宇宙の成り立ちも解明されていない事も、わかっていました。

 高校在学中に父は亡くなり、アートの好きだった私は父が入れたかった大学ではなく、
 新宿区、四谷のデザイン学校に入り、そこで住職と出会いました。
 その後モデルや東京、原宿でのアパレルの仕事や音楽の仕事をするようになり、
 (マイルス デービスも出演したニューヨークの一流クラブでライブ演奏・キングレコードからアルバム出版)
 中学生の頃の思考は忘れ去られていました。

 先代の義父様がお亡くなりになったので、住職は16代目を継承しました。
 私は西楽寺責任役員に就任し、お寺の管理をすることになりました。
 お寺の裏山墓地に登ってみたときに、
 ロケイションのよさと、安心して眠れるような雰囲気を感じました。

 伊藤多伎町長さんから、
 多伎町に他県から人を呼んでほしいとの お言葉をいただいたこともあり
 豊かな自然と、周辺施設の快適さとを兼ね備えた多伎町というめぐまれた環境にある
 西楽寺で出来る事は、 自然葬ではないかと考えました。
 少子高齢化の社会を向かえ、核家族化もますます進む社会状況を踏まえて、
 お墓の持てない方のニース゛にも答えるために西楽寺の自然葬をたちあげました。

 2003年の西楽寺のホームページ開設以来、日本各地から多数の方にお出でいただきました。
 合葬墓には、お盆お彼岸の時期になるとお参りに来られた方達の備えられたお花が絶えません。

 「本当にここにお骨を納めて良かったです。」との、お声をいただく度に自然葬墓苑を
 始めて良かったと思っています。

 今後とも皆様に喜んでいただけるような西楽寺自然葬墓苑でありたいと思います。

                                                    西楽寺坊守 藤原陽子 


         "科学の限界の彼方に、宗教が存在する。"
              

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藤原陽子